優しさ過剰社会

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先日、本屋で一冊の本が目にとまりました。

タイトルは「優しさ過剰社会」。

パラパラと本をめくってみると、気になるキーワードがいくつか目にとまりました。

「優しさがもたらす、重苦しい閉塞感」

「内面に踏み込まず、傷つけ合わない、一種の社交術としての優しさがますます一般化してきた。」

「人から認めて欲しいという思いが強く、友達の反応に一喜一憂し、承認が得られないと傷ついてしまう」

などなど。

「なんだかわかるなぁ〜」と思い購入。

もちろん、優しさ自体は悪いことではありません。
履き違えた優しさが過剰になっているのは考えものだということが、この本でも述べられています。

優しさの奥にあるもの

一言で「優しさ」と言っても、色んなものがあります。

困った人に手を差し伸べる優しさもあれば、影から見守る優しさもありますし、時にあえて厳しくするのも優しさです。

でも、それらは全て奥に「本当の優しさ」があるから、行動や言動など表面に出てきたものがどんなものであれ「優しさ」になるんだと思います。

もし、奥にあるのが「本当の優しさ」でなく、「優しい人だと見られたいから」だとか「傷つけたり反発されたりするのが嫌だから無難に関わろう」といった気持ちであれば、どんな「優しげな」行動や言動をとったとしても、それは「本当の優しさ」ではありません。

「自己愛」もしくは「保身」からくる「一見優しげだけれども表面的な行動や言動」ということになってしまうでしょう。

確かに、世の中にはこうした「一見、優しげ」なもので溢れているような気がします。

街中に出るとひっきりなしに聞こえる「〜にお気をつけください」のアナウンスもそうですね。

最近では友人関係など親しい間柄でもこうした表面的な関わり合いが増えているようです。

生きてる実感

もし、これが全て事実で、ずっとその環境で育ってきたとしたらどうでしょう?

あなたを取り囲む全てのものが「優しい」けれど、全てが表面的で、実は中身が「空っぽ」だったら・・・
本当はあなたのことなど誰も本当に本気で考えてくれていなかったら・・・

私ならきっと、本当の自分を感じられないと思います。
生きてるけど、なんとなく自分の生命や魂みたいなものを感じられない。
実感がない、みたいな感じになるでしょう。

だって、誰かがそれに触れてくれた経験がないわけですから。

そして、きっとその実感を求めてアレコレ彷徨うことになるでしょう。

生きてる感じのする方へ

残念ですが、これは実際に起きていることだと思います。

そして、そうした「空っぽの優しさ」の中では本当の意味での「生きる力」は湧いてきません。

たとえ、苦しくても厳しくても辛くても、実感の伴った、奥に「本当の優しさのある」体験の中にしか、それは見いだせないんだと思います。

もちろん、それは今からでも遅くありません。
決めれば始まります。

ぜひ、本当の意味で「生きる感じのする」方を選択してみてください。
思い切って飛び込んでみましょう!

ということで、なんとなく書き始めたらこんな所に行き着きました〜

では、さようなら。


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