困難の中にこそ喜びはある
仮に人間にとっての理想郷のような世界が存在するとします。
そこは我々人間にとって全ての環境が満たされた世界です。
誰もが超セレブのような生活をしている世界
働きたくなければ働かなくてもお金に困ることはありません。
家事や買い物から車の運転まで、必要なことは全てロボットが代わりにやってくれます。
技術の発展により希少なものも大量に生産できるようになり、欲しいものは全て自由に手に入れることができるようになります。
その世界では、毎日優雅にワインでも飲みながら家族や友人とピクニックでも楽しんでいればオッケーです。
行きたいところに行き好きなことをして過ごすことができます。
毎日海でも眺めながら過ごしても良いですし、夜になれば豪華なパーティに参加してもいいでしょう。
お腹がすけばいつでもおいしい食べ物が食べられますから、最高級のステーキでもフランス料理のフルコースでも好きなものを好きなだけ食べられます。
一日の汚れを落とすためのゆったりと入れるバスタブや、最高級のベットももちろん用意されています。
身の回りはいつも清潔に保たれていて、衣食住すべてが快適です。
それはまさに一部の人間にしか許されていない超セレブのような生活かもしれません。
しかも、この理想郷ではそれに対して何の義務も責任もありませんし、人間関係にも全くストレスがありません。
すべてが自分の思うがままです。
そんな理想郷が存在するとしたらどうでしょう?
さらに素晴らしいことに、そうした生活をしているのは自分だけでなく、世界中の誰もがそうした暮らしをしています・・・。
何か問題があれば全てロボットが解決してくれます・・・。
そんな世界に生きていたらどうなるでしょう?
そんな理想郷に生きていたら人間幸せでしょうか・・・?
人間は自分を発揮したいと願っている
おそらく最初の数ヶ月間でそんな生活は飽きてしまうでしょう。
表面的には満たされていますが、本質的には何も満たされないからです。
おいしいものを食べたり快適な暮らしをすることは確かに嬉しいけれど、そこに人間としての本質的な喜びはないからです。
(超セレブな生活をすることの本当の喜びは、きっと他者との相対的な優越感や、それを手に入れるだけのことをした満足感などから来るものでしょうが、この理想郷では誰もが無条件にそれを手に入れていますからそれを満たすことはできません。)
きっと、この理想郷の人間は徐々に活力を失っていき、何のために生きているのかわからなくなってしまうのではないでしょうか。
つまり、人間は楽をしたいと願っている生き物ではなく、働きたい、自分を発揮したい、そして人のためになりたいと願っている生き物だということです。
あえて困難な道を選ぶ人
あえて困難な道を選ぶ人はそのことをよくわかっています。
困難の中でこそ、より自分が生きるからです。
現代は人類史上最も物質的に満たされた時代です。
特に日本は衛生面や安全面で危険にさらされることはほとんどありません。
そんな安全な社会に生きていることは幸せではあるけれど、一方で本質的な「生」を感じにくい社会なのかも知れません。
そんな中で生きている我々は、時にはあえて自ら困難な道を選択する必要があるのかもしれません。
本当の意味で「生きる」ために。
成功している人でなくチャレンジしている人が幸せな人
ただし、困難といっても様々な種類のものがあります。
すでに困難の中にいるという人でも、もしただその場で我慢しているだけだとしたら、そこから動くことのほうが困難なことかもしれません。
困難な道というのは何かにチャレンジするということです。
そして、結果ではなくチャレンジすること自体が喜びだということも書き加えておきます。
成功している人ではなく、チャレンジしている人が幸せな人だということです。
たとえ無謀でも、荒唐無稽なことであっても、それに向かってチャレンジすることはそれ自体が最高の幸せです。
そしてさらに付け加えると、その目標やチャレンジを安易に人に話すと、「そんなの無理だ。現実的になれ。」などと言われることは良くあることですから注意しておく必要があります。
こうしたことが良く起こりうることだということを頭において置いてください。
その上で、人に話すなり誰にも話さずに自分の胸の内に秘めておくなり、ご自分で判断すれば良いと思います。
(ちなみに、コーチングはこうした荒唐無稽な話も自由に話せる場です(笑)。)
というわけで、豊かな社会に生きている幸せを噛み締めながらも、時には進んで困難な道を選びチャレンジをすることを選択することが、より生きていることを実感できる充実した人生への一つのキッカケになるかもしれないよというお話でした。