「答えのある問い」と「答えのない問い」
いきなりですが、世の中には「答えのある問い」と「答えのない問い」があります。
最近はスマホが普及していますから、その検索窓に何かわからないことを入力すれば大抵のことはすぐに答えを提示してくれます。
「クリスマスケーキの作り方は?」「この周辺で評判の良いレストランは?」「芥川龍之介ってどんな人?」「おすすめのデートコースは?」・・・。
この手のことは、わからなければ何でも答えてくれます。
非常に便利です。
スマホやインターネットのおかげで世界中のあらゆる情報にいつでもどこでもアクセスできるようになりました。
スマホでは検索できないもの
でも、スマホで検索しても答えが出ないものもあります。
例えば、「私の人生はどんな意味があるんだろう?」という問いをスマホに入れて検索しても、納得できる答えは返ってこないでしょう。
他人の答えは参考にしかなりません。
この問いの答えは自分自身で探していくしかないものですから。
または、「このまま会社員を続けていくべきか独立するべきか?一体どっちが幸せだろう?」という問いに対してもスマホは求めている答えをくれません。
条件面などでどちらが有利かということは調べられるかもしれませんが、成功するのかどうか、どちらが幸せになれるのかといったことは誰にもわかりませんし正解もなければ検証もできません。
正解のわからないまま自分で決めるしかないのです。
人生は、こうした「答えのない問い」で溢れています。
人生においては、こうした「答えのない問い」こそが本当に大切なものなのだと思います。
我々は全ての問いには正解があると思い込んでいますが、答えなど無くてずっと持ち続けなくてはいけない問いもあるのだと思います。
「何のために生きているのか?」「幸せとは何か?」
例えばそんな究極的な問いも誰もが一度は向き合ったことがあるでしょう。
この問いに答えられるのはやはり自分自身だけですし、正解はありません。
他の誰かが出した答えはあなたの答えではありません。
以前出した自分の答えさえ、もはや過去のものとなって今では別の答えが必要かもしれません。
勇気と忍耐力を持って「答えのない問い」を持ち続けましょう。
こうした問いを持つことはとても苦しいことです。
何でもすぐに調べられる時代ですからなおさらかもしれません。
それでも問いを持ち続けましょう。
それに答えていこうとすることがあなた人生をつくるからです。
問いの先にある何かをつかもうと必死にもがくからこそ、あなたにとって何か大切なものをつかめるのです。